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1920年(大正9年) 筑摩鉄道株式会社創立 
 
創立式が行われた専称寺(松本市新村)
初代社長上條信氏の記念碑。揮毫は鳩山一郎の手による(松本市新村)
松本電気鉄道株式会社の前身である筑摩鉄道は1920年3月25日に創立されました。(登記上は5月29日)
設立当初の資本金は100万円,本社は新村に置かれ,初代社長には新村出身で県議会議員の上條信(まこと)が就任しました。

1921年(大正10年)〜1922年(大正11年) 島々線営業開始 

筑摩鉄道の創立後の1921年1月に敷設工事が始まりました。第一期線である松本〜新村間は同年10月2日に先行開業しました。
当初は蒸気運転を行う予定でしたが,当時社長の上条が創立した東筑電気が電力供給を開始していた為,電気運転に変更されました。
その翌年,5月10日には新村-波田間が開業,9月26日には波田-島々間が開業し,全線開通となりました。尚2期線として設置認可を受けていた島々-竜島間は地形が急峻な為に建設が見送られました。全線開通後,社名が筑摩電気鉄道株式会社に改称されました。

左:新村駅に残る筑摩鉄道の社紋。片仮名のチの字を9個円形(車輪状)に配置。ちくまとの語呂合わせ。

1932年(昭和7年) 松本電気鉄道株式会社に改称
それまでの筑摩電気鉄道から松本電気鉄道株式会社に改称されました。本社が新村から松本市筑摩に移されました。

1955年(昭和30年) 上高地線に改称

この年,それまでの島々線から現在の名称である上高地線に変更されました。初代社長上條信氏は上高地に強い関心を持っており,鉄道の開通以前の大正7年には乗合自動車会社を買収,鉄道開業後は当時流行の鳥瞰図によるパンフレットを配布しPRに努めました。現在も上高地方面の輸送を一手に担っている松本電鉄ですが,その戦略は創業以前より始まっていたのです。

左:筑摩鉄道沿線案内(複製) 鉄道博物館(埼玉県)にて展示
 

1956年(昭和31年) 波多駅から波田駅に改称
 
1933年,波多村は波田村に改称されました。この改称は,1930年頃に起きた上下水道を巡る村内の対立を解消するために,,県より派遣された職員の「波(乱が)多(いと読める)」といったことが契機だと言われています。

   
1958年(昭和33年) 電車の鋼体化開始

桜木町事故を受け,電車の鋼体化が全国的に進められる中,上高地線もそれまでの木造電車を鋼体化して行きました。

この鋼体化の際に使われたのが日車標準車体という車体です。これは日本車輛製造が地方私鉄の近代化を図る為に昭和30年代に投入した規格品で他の私鉄にも同型車が存在しました。以下は鋼体化電車の一覧です。種車の番号を元に車番付与していった為,登場順と車番とが一致していません。

左:10系電車(やまびこ国体記念きっぷより)
 
鋼体化後  モハ105 モハ103  モハ107 モハ109 モハ101 モハ1011 クハ102 
鋼体化前 デハ5 デハ3 デハ13 デハ9 デハ1 デハ18 クハ16
時期 1958年12月 1959年7月 1960年7月 1961年7月  1962年7月  1963年6月  1964年2月 
1964年(昭和39年)安貫3ダム輸送開始 
  
輸送強化の為導入されたED40型は現在も岳南鉄道(静岡県)にて活躍している。

東京電力の電力開発の一環として,梓川上流に稲核,水殿,奈川渡の3ダムが整備されることになりました。
上高地線は,この建設工事の輸送を請け負うことになり,渚・新島々のヤードの整備,ED40型電気機関車2両の購入,軌道強化を行いました。この期間中,南松本で仕立てられたセメント列車を牽いたD51型蒸気機関車が上高地線渚駅まで推進運転で入線していました。

1967年(昭和42年)急行こまくさ号乗り入れ開始
レジャブームを受けた登山客の増加に伴い,国鉄の急行列車「こまくさ号」が上高地線に乗り入れるようになりました。この列車は名古屋-松本間は急行あずみに併結,松本より上高地線に入りバスターミナルのある新島々まで乗り入れていました。キハ28・キハ58型気動車が使用されました。運転は1973年まで続きました。

1970年(昭和45年) CTC導入
信濃荒井-新島々に列車集中制御装置が導入されました。この装置はそれまで各駅が個別に行っていた信号の扱い等を,指令所で一括して行うものです。県内の私鉄としては初めて,国鉄でもまだ導入が始まった頃でした。各駅の業務委託化,全線単線自動閉塞式への改良といった合理化・省力化が進められたのもこの時期です。

1983年(昭和58年) 台風10号に伴う土砂災害により新島々-島々間不通に
  
旧島々駅舎 廃線跡。橋脚が残る場所も。
この年の9月28日,台風10号による豪雨により新島々-島々間にて土砂崩落,路盤崩壊が発生しました。復旧費用は当時価格で2000万円。重ねて根本的な対策工事を行うことが求められました。既に新島々にバスターミナルが移転していたこともあり,同区間は廃止されることになりました。当時の島々駅舎は新島々駅前に移築され,波田地区の観光案内所として利用されています。


1986年(昭和61年) 5000系電車導入

それまで活躍していた10系電車を置き換える為に,東京急行電鉄より5000系電車を8両購入しました。

この電車は所謂新性能電車の嚆矢とされる車輛で,東急線での活躍後も各地の私鉄に譲渡され近代化に貢献しました。長野県内では長野電鉄・上田交通に次ぐ譲渡です。導入と同時に直流1500Vに昇圧,ワンマン運転を開始しました。ワンマン運転は県内私鉄では初の試みです。


1990年(平成2年) アルピコグループの一員に
運輸業のみならず,小売業,ホテル事業と多角的な事業を展開していた松本電鉄系列会社ははGI(グループアイデンティティ)を導入し,アルピコグループとしてスタートを切りました。松本電気鉄道はグループの中核企業と位置付けられています。通称アルピコカラーと言われるダイナミックストライプ及びロゴマークは米国ランドーアソシエイツ社の手によるもの。同社はIBMのロゴなどを手掛けています。

1999年(平成11年) 3000系電車導入
 
3000系電車 県内私鉄初のワンハンドルマスコン車である。
5000系電車を置き換える為に京王帝都電鉄より3000系を購入しました。現在の上高地線の主力電車です。
この電車の導入により上高地線の冷房化,ATS(自動列車停止装置)の導入が完了しました。

2007年(平成19年) アルピコグループ債務超過に陥る
この年の12月25日,松本電鉄を中核としたアルピコグループ19社の平成19年9月期の連結決算が182億円の債務超過に陥ったことが明らかになりました。バブル期の過剰投資が響いたと言われています。これを受け,翌年には「私的整理ガイドライン」に基づく経営再建が始まりました。バス路線の廃止,本数削減,運賃値上げの他,アップルランドの店舗閉鎖などの動きがある中,上高地線に関しても「単独での事業継続は困難」という見方が出ました。

2010年(平成22年) 波田町松本市と合併 
波田町が松本市に吸収合併され,上高地線は全線松本市内を走る路線となりました。また市の交通政策に於いて「西部地区の基軸交通」と位置づけられ独自の支援策が講じられることとなりました。

2011年(平成23年) 商号を松本電鉄からアルピコ交通に変更
アルピコグループ内で運輸業を手掛ける3社(松本電鉄,川中島バス,諏訪バス)が合併し,松本電鉄に一本化されました。
これに併せ松本電鉄では商号をアルピコ交通に変更。上高地線についても正式名称は「アルピコ交通上高地線」ということになりました。尚,従来の松本電鉄は愛称として今後も使用するとのことです。

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