■回想:ハニフ1号のこと
2006年11月23日。新村車両所でハニフ1号の展示会が行われました。このハニフ1号は大正11年(1921年)〜昭和23年(1948年)にかけて上高地線で活躍した客車です。この展示会は,埼玉県さいたま市に開館する鉄道博物館への譲渡が決まったことを記念したものでした。

ハニフ1号の経歴を遡りますと,甲武鉄道(現在の中央線の前身)のハ9号に行き当たります。このハ9号は甲武鉄道が国有化されるとデ963形デ968号と改番されました。ところが,その後の国鉄ではボギー車が台頭。デ968号は客車に改造されロハフ1となりました。このロハフ1は信濃鉄道(現在の大糸線) に譲渡され,ハニフ1を名乗ります。上高地線の前身である筑摩鉄道には大正11年にやってきました。整理すると以下の通りになります。

ハ9(甲武鉄道)→デ968号(鉄道院/国鉄)→ロハフ1(国鉄)→ハニフ1(信濃鉄道)→ハニフ1(筑摩鉄道)
出入り口付近から内部を見る。画面奥側が荷物室として利用されていました。妻面に「手荷物」の文字を見ることができます。置かれている木箱はリンゴ箱か何かでしょうか。

荷物室側から出入り口方面を見る。白熱電球,ダブルルーフ,ヨロイ戸が古典車両らしさを醸し出しています。尚,展示会は11月23日以後の土日に毎回行われたのですが,車内立ち入りはこの日を含めた数日間のみであったそうです。

筆者がひどく感心したのは窓です。図のように上下に引いて開閉します。窓枠の方に溝がついており,そこにはめ込んで開き具合を調整。全開時は下側の戸袋に仕舞い込みます。戸袋には日除けのヨロイ戸も収納されており,こちらも引き出してはめ込んで使います。
 
輸入代理店であった高田商会のプレート。同社の創立は1881年(明治14年)欧米より機械・船舶・軍需品を輸入・販売していたそうです。(左)軸受付近にはメーカーの「BRILL」をデザインしたロゴも(右)
車体側面中央に大きく書かれた松本電鉄の社章とハニフ1の表記。右から左に向けて読む辺りも時代を感じさせます。松の葉をデザインしたという松電の社章も秀逸。

車端の各表記類。現在の電車は妻面に小さく書かれている場合があるので新鮮です。四角で囲われた部分(別パーツ)は車検表記のようです。20-2と18-11はそれぞれ昭和20年2月,昭和18年11月ということと推測できます。ただハニフ1の休車が昭和20年,検査の結果休車が決まったということでしょうか。松鐵車庫の略称が気になります。

「日本最古の電車」ということもあり当日は地元紙,ローカル局の取材もありました。当時高校1年生であった筆者もちゃっかり登場。当日夜のニュースと翌日の朝刊に名前付きでコメントが出ました。ちなみに後に「古い電車で新しい語らいの会」で関わることになったH運転士さんとこの時初めて話すこととなりました。

現在のハニフ1号の様子。鉄道博物館(埼玉県さいたま市)のヒステリーゾーンに,松本電鉄時代の姿で展示されています。松電の旧社章も健在。比較的明るい色合いの国鉄/JR車の中にあってその地味な姿は異彩を放っています。

残念なのは硝子が数箇所抜け落ちてしまっているところ。また非常に撮りにくい位置に置かれています。車内への立ち入りは不可,周囲には規制線が張られています。上高地線の記念碑的存在であるハニフ1号がこうして安住の地を得たことはファンとして喜ばしいことではありますが,何処か寂しさを感じてしまいます。

 
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